Edwina Horl 18-19AW

「ABRAKADABRA」

18-19AWのEdwina Horlは、古代中近東で悪霊に向けて使われ、病気が治療できると信じられ続けてきた呪文「ABRAKADABRA」をテーマにし、コレクションを創造されました。
様々な物事や情報が飛び交い、交錯する現代において、あなたは何を信じ、何を拠り所にしていますか?
このテーマが、自らの指針を見つめ直すきっかけになればと思います。



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魔法+公式=?

 

わたしたちが何を信じるかは、その内容の合理性の有無にはあまり関係なく、むしろ非合理的なことの方を信じる場合がある。
これは社会的な進行をそのまま反映しているように思える。
例えば、金融市場での高リスクの投機や群衆行動を考えた場合(注1)、経済や科学技術があらゆるものを解決すると無条件に信じる事は、それと同時に非合理性や不合理な行為の否認を過度に高めるという意味において、合理的なシステムを神話化する事になるとの指摘がある。
さらに、科学技術信仰や完全なるものへの幻想は、哲学におけるトランスヒューマニズムのように、人間と科学技術の結合のみならず、あらゆるものの数量化によるアルゴリズムシステムに人間が順応していくことを狙いとする。
このような合理的なシステムの神話化と並行して、ファンタジー、SF、モンスターや吸血鬼や幽霊などの話しがブームになっているが、より複雑になりゆくこの世界の中で、不可解なことに立ち向かう者たちの存在が、人々に求められているのだろうか。
不合理ななことを信じながら、それと同時に合理的なことを信じることもあれば、その二つの要素が重なり合う場合もある。
その際、この二つのシステムの関係性は常に新たな見直しを必要とし、その都度変化していく。

 

解放と権力としての理性

 

あらゆるものを判断する能力としての理性は、啓蒙時代(1650年-1800年)には、専制君主制およびキリスト教などの伝統的権威から解放を進めるための手立てであり鍵であった。
この頃の理性、教育、学問の発展は、その後の技術、文化、政治の進歩のための基盤となり、自主的に考え、人生を自ら切り開くことのできる自由な市民という理念を生んだ。
理性は支配権力から自由になるための道具であった。
ルネサンス期(15,16世紀)に、世界の中心の座を神が人間に譲ったように、啓蒙時代にはフランス革命により、それまで神によって与えられていた専制君主制の統治モデルが崩壊した。
理性、自然科学、そして普遍主義の理念は、より良い、自らの決定による、生き方の前提条件を築いたのであった。
しかしながら、こういった理念に基づいた近代性が、進歩という名のもとに、抑圧的な政治体制を構築していくことになる。
フランクフルト学派(マックス・ホルクハイマー、テオドア・W・アドルノ)は「啓蒙の弁証法」(1944)の中で、ナチスによる啓蒙の失敗を論じている。
自然を人間の支配下に置くという試みにより、世界へのアプローチはかつての神話的なものから、科学的認識による合理性を伴うものとなったが、理性が、自然や社会を支配し搾取するための道具となった時に、啓蒙主義それ自体は神話へと逆戻りしていくことになった、と著者は言う(道具的理性)。
人間としての成熟、そして、自然に拘束された状態からの解放と引き換えに、統治手段としての理性は道具として利用され、さらにその理性は、経済や技術への適合を求められる事になる。
各自の合理的な振る舞いこそ重要視されるべきはずのところに、理性という名において操作された、新たな神話が誕生したのであった。
経済と技術の進歩の神話化は、特に、暴力を是認し、利得を追求することに利用されてきた。
優性政策や、民族の規格化などの差別がもたらした結果は、その様々な抑圧や搾取の形態という点において、ポストヒューマニズム論やクィア論理、ポストコロニアル論理によって研究され論じられている。
とりわけ、自然/文化、主体/客体、人間/動物、人間/技術などの二項対立は二元輪の要素を帯び、それによって地方を絶対化するものとして批判される。

 

ハイブリッド生物

 

一方、思弁的実在論者は、理由もなく、ただ「存在する」ものとして、人間の思考から独立した「存在」を根底に置く(クァンタン・メイヤス―)。
実在とは、ここでは、人間の思考、意識、ディスクールに依存するものではなく、もはや中心にいる者ではなくなった人間は、ただ、数ある実在の中のアクターに過ぎない。
物、動物、技術に行為者性は無いとしても、可能性として、少なくとも有効性は与えられる。
そこには、アニミズムと親和性の高い想像の世界を再び見出すことができる。
ロッシ・ブライドリッチの展開するポストヒューマニズムプロジェクトの中では「ゾーエ/Zoe」(古代ギリシア語で根源的生命という意味を持つ)という概念が重要な要素となり、ブライドタッチはそてをダイナミックで自主性を持つ生き生きとした生物の構造として解釈する。
「ゾーエ」の持つ生産的で変革的な諸力と、非人間中心的な要素を含む他の生命システムとが結合し、新たなアッサランブラージュを作り上げる。
ブライドタッチはそこへ、非画一的な主観性とそれの織りなす関係性というような、彼女の哲学的ノマド主義を結びつける。
ポストヒューマニズムにおいて、例えば人間と動物といった本質主義的二元論が挑戦され、自然界と社会的世界の共変的な変化と生成可能性が追求されるのである。(注2)
このところ映画や小説でブームになっているハイブリッドな存在には、Otheringというコンセプトを位置付けるような兆しが見られる。
例えば、サイボーグが技術の形をとって、人間とテクノロジーの結合した誰かに内在化し、それによりテクノロジーが自らの物となる。
今年アカデミー賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」も、半分魚で半分人間である生物が織りなす冷戦下でのラブストーリーである。
この、超自然的な治癒能力を持つ、アマゾンの奥地から連れてこられた生物は、実験の対象として軍事施設に拘禁されており、双方の超大国は、その生物を軍事目的で使用しようと目論み、あるいはそれを阻止するために殺戮しようとする。
他在の定義により、この生物はいつでも殺せる、ただ利用する物としての下等生物とみなされ、場合によって戦略的に投入できる物としての価値のみ与えられているのである。
もし、非合理性と合理性が同じだけの価値を持つならば、ヒエラルキーのない関係や、今とは異なった価値システムの生じる可能性がある。
これは初めは良いことのように聞こえるが、双方の区別がつかなくなってしまう場合や、一方が地方を自称する場合の問題もまた孕んでいる。

 

神話と伝説

 

森羅万象をどう解釈するか、それを示すため、説明のつかないことの多くは、像や物語の形で表現されてきた。
例えば、メルヘン、物語、伝承、伝説、神話などは、架空の物語を通して、人物・英雄・星、それに自然現象には意味が与えられ、社会の出来事はフィクション化され、犯罪はコード化され、支配者による物語やイデオロギーが形成されてきた。
そして、過去に起源を持つ神話や伝説の他に、アメリカンドリームや陰謀説やフェイクニュースなどのような、現代の神話と呼べるようなものも存在する。
あるいはサイエンスフィクションの形をとった未来の神話として。
しかし、ミュトスとロゴスは互いにどう関係し、信仰システムに影響を及ぼすのか。
そして、その関係性を定義するカードはどのように再編成されるのであろうか。
神話(ミュトス)は、理解できる知識としての科学的説明とは対照的に、物語を通じて架空の知識を創造する。
神話的な物語は、時間の経過とともに変化してもはや追体験できないような集団的記憶に起因し、混じり合った伝承、映画やその他のメディアでの表現、集団的、あるいは個人的な体験から構成される。
伝説は極端な賛美や否定の性質も併せ持ち、噂や、虚偽の報告、プロパガンダ的な傾向を帯びることもある。
さらに、現代では、フィクションの物語に基づいたソーシャルなコミュニティーが発生したりもする。
現代の伝説がいかに発生するか、そこにはフェイクニュースなどが大きな関わりを持っている。
あらゆるものが拡散されるソーシャルメディアのエコルームの中で、記事もユーザープロフィールも捏造されたものだったのにっも関わらず、都市伝説というような意味合いで、伝説化していく。
それがフィクションややらせであっても、もはやその虚偽が疑われることはなく、あたかも本当の事のように認知される。
そういった操作が表現形態のひとつとして当たり前のこととなり、結果、その操作の事実すら意識の中から消えていしまう。
このようにして、過去の幽霊は、簡単に忘れ去られることなく、何度も息を吹きかえすのだ。
伝説や神話によって、恨み、嫉み、偏見に対するムードを広め、アイデンティティーを創造し、恐怖や希望を増幅させ、それを規則や戒律に反映させることすらも可能である。
起源や由来に関する物語だったものが、のちに国家の建国伝説として、そのアイデンティティーが政治的に意味付けされて語られる。
神話では、戦争や自然災害が勝利の歴史に変化し、実在もしくは架空の人物が、神々や幽霊や自然の力となってヒーローや他の登場人物を演じる。
実際の出来事が神話の一部となることもあるが、むしろ、神話は実際の出来事を神話化したものなのである。
まさに政治的な統治システムこそが、超自然的な現象や神々によって正当化されたものなのである。

 

宗教的なエピソード:精霊たちと聖職者

 

例えば妖怪などのように、人間は精霊たちの姿を描く事によって、理解を超えてきたものに形を与えようとしてきた。
複雑なシステムの説明や、その意図するところを、神話的な物語や伝説に織りこむ事で、人々は多くを理解してきた。
しかし、その精霊たちの正解と宗教とはどういう関係にあるのだろうか?
聖霊から天使、悪魔、聖人に至るまで、多くの超自然的な存在や力が、様々な宗教の中に見られる。
宗教では、民俗信仰や他の宗教から、像や物語を引き継いだリ、またはそれらを敵として描いたりもする。
例えば、宗教裁判や、魔女の火刑、プロテスタントの迫害などを考えてみると、キリスト教徒の信仰からの逸脱は、死を持って罰せられてきた歴史がある。
体制に順応しないものは全て、その統治システムにとっての脅威とみなされ、魔術や、神の冒涜として罰せられた。
宗教は、制度的に組織された信仰の構造を持ち、ルールを定め、階級的に編成され、儀式を通じた戒律や独自の価値体系によって、共同体を作り上げるものである。
それらの有効性は、人々がそれを信じ、行動様式をその宗教に沿ったものに変えた瞬間に発揮される。
特に、経典に基づく一神教においては、他の宗教からの影響を持ちこむこと、自然神話、土着的な儀式などは、認められないどころか、激しく拒絶される。
一方日本における信仰は、現在では様々な仏教の宗派と神、それに土着の神々が結びついたような特徴を持つが、明治時代、仏と神を分ける神仏分離政策が進められたことがあった。
しかし、それは結局人々に受け入れられず、第二次世界大戦後には廃止された。
仏の世界や神の世界の多様性は、矛盾を含んだものというよりは、仏教と新道が互いに侵入し補い合うものとして認知されている。
境界線を設定し他を排するのではなく、その土地の神々、自然の力、それに神以前に感じる漠然とした予感、そういったものが宗教の一部を成すのである。
さらに、今世もしくは来世に与えられる恩恵としての「ご利益」が、信仰と結びついた要素としてある。
ご利益は、自身を守護し、癒し、慰めるものであり、時に、恐れを抱かせ、恐怖や厄介事を映すものになる。
そのようにして、恐れは自分自身の無力感を強調し、同時に全能の神を信じることへ繋がる。
一方、ホラー映画ファンがよく知るように、恐れを感じたいという気持ちも存在する。
恐怖は脆弱性が表に出たものであり、不確実性の兆候として読み取る事ができる。
(あらゆるものを)信仰する行為は、どの程度まで、確かさや知識、または諦めや拒絶に影響されるのだろうか。
非合理なことの中には、予測や制御できないことが多々あり、そこには肯定的な意味と否定的な意味の両方がある。
理性で持って、人間は、ポジティブな、そしてネガティブな結果を伴うその非合理を、できる限りコントロールしようと試みる。

 

魔法が形を得るとき

 

「Zauberformel/呪文」という単語の構成には、合理性と非合理性の結合が象徴的に反映される。
「Formel/公式」は学術的な意味において、数学的、物理的、科学的な文脈や規則を短縮し記号で表したものである。
従って、「Formeln/公式」は、公式言語の特定システムにおける、相関係の変換を表す。
実験的物理学者が論理的予測を行動に変換して検証を行うように、例えば、公式を遂行的行為と理解するならば、行動形態や、あるいはその公式が遂行されるのである。
公式によって、象徴的に記されたものが、実用性の原則に従って予測でき操作可能になる。
それに反して、非合理性は予測できないものを代表する。
そして、「Zauber/魔法」とは、超自然的な影響力、魔術的な操作、自然の法則に基づかないもの、そういった説明不可能なもののことを指す。
図で表された「アブラカタブラ」という言葉は、文字をひとつずつ減らしていく事で出来上がる、幾何学的な三角形の図形(注3・Schwindeschema)が用いられ、魔法により非合理的なことを操る公式を、言葉から作り出す。
「アブラカタブラ」という魔法は、単語を構成する個々の文字の羅列として表現される。
文字数の減目によって形作られる三角形は、災厄を逃れ、病気を予防する効果が期待される。
図の中で文字がひとつずつ消え、ダイアグラムが下に向かって小さくなっていくように、呪文を唱える事で病気が小さくなりやがて消えてしまうとされる。
その際、呪文を唱える事の遂行的な行為が何よりも重要なようだ。
発音する事で、言葉が、治療への手引きとなり、そしてそれを操る公式としての効力を持つのだ(注4)。
言葉というのは、発話行為と結びついた魔法のための公式なのである。

 

注1
「アニマルスピリット」と呼ばれる、経済や金融の場での、市場の変動に結びつくような、考慮不十分な本能的または感情的行為、あるいは行動。
ジョン・メイナード・ケインズは既に、1936年に、アニマルスピリットによる投資などが、経済を大きく変動させる原因となり、不況などの潜在的な危険を孕むと指摘している。
ケインズの著書である「雇用、利子、お金の一般理論」において提示された概念。

 

注2
ロッシ・ジブライドッチ著「Posthumanismus:Leben jenseits des Menschen」2014,Campus Verlag,Frankfurt am Main,220ページ

 

注3
Schwindeschema:最初、すべての文字が完全に書かれ、その文字の下に同じ文字が書かれるが、その際に語尾の文字を一つずつ消していく。
最後の一文字になるまで繰り返され、それによって出来上がる、文字配列による図像。

 

注4
「アブラカタブラ」という言葉の語源には様々な説がある。
「この言葉のようにいなくなれ」を意味するアラム語のAura ka-Dabraを語源とする説、同じくアラム語のAbba ka-Dabra「私が言う通りになる」を語源とする説など、他にも多数。
その単語の響きが痛みを和らげると信じられていた。
-karl Erich Groezinger:Juediches Denken. Theologie-Philosophie-Mystik.
2巻:Von der mlttelalterlichen Kabbala zum Hasidismus,Wissenschaftliche Buchgesellschaft,Darmstadt 2005,322ページ

 

Sabina Winkler
翻訳 小沢さかえ




 

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